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「フィクション小説の利害」エリフ・シャファク

SPEAKER:エリフ・シャファク


物語は想像力を広げます。物語を紡ぐことで文化の壁を超え、様々な経験を得て、他者の心の内を理解することができます。エリフ・シャファクは、この明確な概念のもとに、フィクション小説がアイデンティティ政治を乗り越えられると語ります。


19:46


日本語字幕
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TED2010

全文
私は作家です 物語や小説を 書いています 今日は物語の真髄について いくつかお話をします ジンという超自然的な 生き物の話もします 本題に入る前に 少しだけ 個人的な話をしますが 言葉だけではなく 幾何学模様と共に話を進めますので 話の途中で 丸や輪が出てきます

私はフランスのストラスブールで生まれました トルコ人の両親は 私が生まれて間もなく離婚し 母は私を連れてトルコに引っ越しました 私は一人っ子で シングルマザーに育てられました 70年代初頭のアンカラでは 珍しい家族構成でした 近所はどの家も大所帯で 父親が家長だったので 父家長制の社会で 離婚した母を 見ながら育ちました とくに私が見て育ったのは 二人のタイプの違う女性でした 一人は母 高学歴で西洋の影響をうけた非宗教的な現代人 もう一人は母と共に 私を育ててくれた祖母 精神世界に生きていて 低学歴で 非合理的でした 祖母はコーヒー豆で未来を占い 鉛を不思議な形に溶かし 邪気を追い払っていました

ニキビがひどい人や 手にイボがある人が たくさんやって来ました 祖母がアラビア語で まじないをかけ 消したいイボと 同じ数のバラのとげを 赤いリンゴに刺すのです そして祖母はインクで とげを丸く囲むのでした 患者は1週間後に再び 様子を見せにやってきました 学者や科学者の方たちを前にして このようなことを言うべきでないのは承知の上です でも 肌の問題を抱えて 祖母を訪ねて来た人たちは 皆 満足し 症状も回復し 帰って行きました 祈りの力で治したのかと祖母に尋ねると 祈りも効果はあるけれど 輪がつくり出す力が効くのだと言いました

祖母からは多くのことを学びましたが ことに貴重な教えを受けました 何かを取り除きたければ ニキビであろうが 人の心であろうが 厚い壁で囲みこんでしまえば 中で消滅してしまうのです 誰でも 社会的 文化的な輪の中で 暮らしています 生まれた家 民族 階級 という輪です でも当たり前だと思っている世界の外と つながりが全くなければ 私たちも 輪の中で枯渇してしまう― 可能性があるのです 想像力が欠け 心が小さくなり 人間味を失います 文化的な囲いの中に 長居した結果です 友人や隣人 同僚や家族 誰もが同じ価値観であれば 我々自身を鏡に映して 見ているようなものです

祖母のようなトルコ人女性には 鏡をベルベットで覆ったり 鏡を裏返して壁に掛ける習慣が伝わっています これは東洋の伝統で 鏡に映る自分の姿を 眺めてばかりいるのは健全ではない― という考えに基づいています 皮肉にも 似た者同士で成り立つコミュニティーは 現代のグローバル社会に挙げられる― 大きな危険性のひとつで 至る所で見られます 自由主義者と保守主義者 不可知論者に信奉者 金持ちと貧民 東洋と西洋も然り 人間とは共通点がある人と 親しくなる傾向があり 他の集団に対する― ステレオタイプをつくり出します このような文化的ゲットーは 物語がもつ力で 乗り越えられると思います 境界線を取り壊すことはできなくても 精神的な壁に穴をあけ そこから他者を垣間見て 好きになることさえできるのです

私は8歳で物語を書き始めました ある日 母が私に 日記を書いてみてはどうかと言いました きっと私のことが 心配だったのでしょう 私は絶えず話をしていたのです 相手は存在しない― 架空の友達でした 内気な子だった私は クレヨンと交流を図り 何かにぶつかったときは 物に向かって謝っていました ですから母は 毎日の出来事や 自分の思いを 文にするのがいいと思ったのです でも私は毎日がつまらなくて 文章にしたいことは ひとつもなかったので 他人の話や 架空の出来事を 書き始めました このようにフィクションを書く― 楽しさを身につけていったのです 私にとってフィクションは当初から 自分自身を明らかにするというより 他者の人生や別の可能性へ 入り込む旅だったのです 今から別の話をしますが 輪を描いて 再びここに戻ってきます

この時期 生活に変化が訪れました 母が外交官になったため 祖母と過ごした 迷信深くて 小さな中流階級の街を離れ マドリッドにある上流階級の 学校に通うことになりました トルコ人は私だけでした そこで私は “国の代表”を初めて経験したのです 同級生は あらゆる国から来ていましたが クラスの中は必ずしも民主的だったわけではなく 偏見や不平等が見受けられました それぞれの子どもたちが 個人として見られるのではなく もっと大きなものを 背負わされた雰囲気が漂っていました 良く言えば小さな国連のようでしたが 国や宗教に関わる― 否定的な出来事が起きると 対象になった子どもは いつまでも ばかにされたり いじめられました ちなみに この学校に通学していた頃 トルコでは軍が政治に介入し トルコ人の男がローマ教皇を殺そうとし 欧州版歌合戦でトルコは ひどいざまでした (会場: 笑い声)

当時 私は学校を頻繁に休み 船乗りにあこがれました 文化的ステレオタイプも そこで初めて経験しました 私は観たことがない― トルコが舞台の映画や 一日に吸うタバコの数を 同級生は尋ねてきました トルコ人は皆 愛煙家だと思われていました 何歳からベールを被るのか 尋ねられたこともあります トルコのステレオタイプは 政治やタバコ 肌や髪を隠すベールだと 知りました その後 ヨルダンやドイツで暮らし 再びアンカラに戻りました どこで暮らすにも 想像力は私が携帯できる― 唯一のスーツケースのようでした 私は物語によって 情緒的バランスや 連続性や一貫性を得たのです

20代半ば 大好きな街― イスタンブールに移り 活気に満ちた場所で暮らしながら 執筆活動をしました 1999年 イスタンブールで 地震がありました 明け方3時で 私は外に飛び出ると ある光景が目に飛び込んできました 社会の外れ者には目もくれない 普段は不機嫌な 商店の店主が座りこみ 脇には 黒いロングのかつらをかぶり 涙でマスカラが落ちた 女装者がいました 震えた手つきで タバコを取り出し 彼女にふるまう店主の姿が いまだに私の脳裏に 焼きついています 保守的な店主と泣いている女装者が 共に歩道でタバコを吸っている光景です 死や破壊に直面して 表面上の相違点は消え 短時間であっても 私たちはひとつになりました 物語にも同じ効果があると思います フィクションと地震が同じ重みという意味ではありませんが 優れた小説を読むと 心地よい住居を後にして 一人で夜の街にくり出し 今まで知らなかった人たちと出会い始めます 偏見の対象だった人とさえ 親交が生まれるかもしれません

私はその後 ボストンとミシガンで大学に通いました そこでは地理的な変化よりも 言葉の転換を経験しました 私は英語で小説を書き始めました 移民のような立場ではない私に 英語で書く理由を尋ねる人がいますが 言語を使い分けることで 自分自身を再び作り出せるのです 私はトルコ語で執筆するのが大好きです 私にはロマンチックで感情に訴える言語だからです 英語も好きですが 英語は私にとって 数理的で知性に訴える言語です それぞれの言語に 違ったつながりを感じます 何百万もの人たちのように 私は英語を 勉強して身につけました ある程度の年齢になってから 新しい言語を学ぼうとすると 常にもどかしさを 感じることになります 人を笑わせたり 気のきいたコメントをしたくても 言葉が出てこないのは 心と言語能力に差があるからです その差があることで 気後れしますが おじけづかないことを身につけると その感覚も刺激的です ボストンで感じたことですが いらだちが刺激になりました

当時 祖母は 私の身の振り方を 懸念していて いつものお祈りの中で 私が結婚して落ち着くことを 願っていました 神は祖母の見方をしたようで 私は結婚をしました (会場: 笑い声) 家庭に落ち着くのではなく 私はアリゾナに引っ越しました 夫はイスタンブールにいるので 私は行ったり来たりの生活を始めました 両極端にある― 二つの街です 私には肉体的にも精神的にも 遊牧民のような一面があります 物語が私を追いかけ 人生を問うかのごとく 記憶の断片をつなぎ合わせ続けます

物語は大好きなのですが 最近 あることに気がつきました 物語がただの物語以上に見られると その魔法を失うということです これは皆さんにも ぜひ考えていただきたい内容です 私が英語で執筆した小説が 初めてアメリカで 出版されたとき ある文芸評論家が言いました “面白かったけど 内容が気に食わない” (会場: 笑い声) どういう意味か尋ねると 登場人物は多いのに トルコ人は一人だけで それも男だと言われました ボストンの大学の構内を舞台にしたので トルコ人よりも 国際色にあふれている方が 普通だと思ったのですが それは評論家が求めていたものではなく 私の作風では今後も 期待に添えないことがわかりました 彼は私のアイデンティティの証拠を見たかったのです 私がトルコ人女性だからという理由で 本にもトルコ人女性を期待していました

現実世界が物語に影響されることは話題にあがります でも 物語が各地で読まれ批評されている方法に どれだけアイデンティティ政治が 影響を及ぼすのかという点にも 目を向けるべきです 多くの作家はこのプレッシャーを感じていますが 西洋人でない場合 プレッシャーはさらに大きいのです 私のようなイスラム世界出身の女流作家である場合 求められる物語は ムスリム女性の物語で 不幸なムスリム女性の 暗い話が好まれます 求められる物語は 学びが得られ 心に訴える特徴があるもので 実験的文学や前衛文学は 欧米作家の分野だと思われています マドリッドの学校で子どものときに経験したことが 現在 文学の世界で起きています 作家を独創性のある― 一人の個人として見ず 個々の文化の 代表者として見ているのです 中国人作家やトルコ人作家 ナイジェリア人作家 私たちは異様ではなくても 目新しさがあると思われています

小説家のジェイムズ ボールドウィンが 1984年に受けたインタビューで 同性愛指向について何度も尋ねられました 同性愛作家として 分類しようとする記者に対し ボールドウィンは言いました “皆にないものは 私にもないし 私にないものは 皆にもないんです” アイデンティティ政治が生み出す偏見は 想像力の自由を束縛します 欧米以外の作家を ひとくくりにして 多国籍文学と称する あいまいなカテゴリーがあります 約10年前に呼ばれた 私には初の多国籍読書会は決して忘れません 私の他に フィリピン人とインドネシア人の 作家が招かれました 笑い話のようですね (会場: 笑い声) この三人の作家が招かれた理由は 作風に共通点が あったからではなく 国籍だけの理由でした 多国籍文学の作家はフィクションのように 想像力を使うより 実話を語ることを求められます 作家自身のみならず 架空の登場人物も さらに大きなものの代表になります

しかし 物語を物語以上に 見る傾向は 欧米に限ったことではなく どこでも起こります 私がこれを初めて経験したのは 小説の登場人物が発した言葉を理由に 2005年に裁判にかけられたときでした 私は女性の目から見た アルメニア人家族とトルコ人家族の 建設的で多層的な小説を 書くつもりでいました 私の小さな話は告発されて 大問題となりました 二つの国民の対立を書き 賛否両論が寄せられましたが どちらの側にも これはフィクションなのだと 伝えたかった時期がありました ただの物語だったのです “ただの物語” といっても 自分の本を軽く見ているわけではありません 私はフィクション小説を 目的達成の手段としてではなく あるがままに楽しみたいのです

作家は政治的意見を述べる権利があり 優れた政治的小説もありますが フィクション小説の言葉は 駆け引きのためではありません チェーホフは言いました “問題の解決策と 問題を投げかける正当な方法は まったく別ものである 後者だけが表現者に課せられた責任だ” アイデンティティ政治は人間を隔て 境界線をつくりあげますが フィクションは人と人をつなぎ ニュアンスで心に訴え 境界線の認識はありません アイデンティティ政治は頑丈なレンガでできていますが フィクションは流水です

オスマン帝国時代 メッダフという語り手がいました メッダフは喫茶店を巡回し 即興で物語を 披露するのです メッダフは登場人物によって 声を使い分け 役を演じました 階級や宗教に関係なく どんな人でもメッダフの話を聴きに行けました 物語が どんな境界線をも超えたのです ナスレッディン ホジャの物語が 中東 北アフリカ バルカン半島 アジアで人気があったようなものです 物語は今も 国境を超え続けます パレスチナとイスラエルの政治家は お互いに耳を傾けませんが 今でもパレスチナの人たちは ユダヤ人作家の小説を読み 逆もまた同様に 登場人物とつながりを感じ 共感するのです 文学は境界線を乗り越えなくてはいけません それができなければ 優れた文学ではありません

かつて内向的だった私は 本によって救われました 本を崇める危険性も 私は認識しています 詩人のルーミーが シャムセ タブリーズに会ったとき シャムセがまずしたことは ルーミーの本を水に放り投げ 文字が消えるのを見たことでした スーフィー信者は言います “自分を超えられない知識は 無知よりもずっと悪い” 現代の文化的ゲットーが抱える問題は 知識の欠如ではありません お互いに関する知識は十分にもっています でも 私たち自身を超えられない知識は エリート主義者をつくりだし 切り離されていきます 私は人生を 動くコンパスに 例えるのが好きです 片方の脚を一か所に置きながら もう片方が円を描き 常に動いている姿です 私の小説も同様に トルコにルーツをもち イスタンブールに根付いていながら 世界を旅して いろいろな文化と結びつくのです そんな意味で私の小説は 地域的でありながら 国際的だと 考えています

イスタンブールに行ったことがある方は トプカプ宮殿を見たことがあるでしょう オスマン帝国の君主が 400年以上も住居とした宮殿です この宮殿には めかけが住んでいた― 部屋があり その外に ジンの集会所 と呼ばれた場所があります 建物に はさまれています 私はこの概念に興味をそそられています 二つの空間の間にある場所を 怪しむ人はたくさんいます そのような場所はジンのような 超自然的な生き物の棲家で 彼らは得体の知れないものの 象徴だからです でも 人目を避けた その空間が 作家や芸術家に一番必要なものだと思います 私がフィクション小説を書くとき 大事にするのは可変性です 10ページ先が予測できなかったり 登場人物の意外な行動が好きなのです ムスリム女性を題材に 小説を書いたときに 幸せな物語になるかもしれませんし ノルウェーのハンサムな ゲイの大学教授を主人公にするかもしれません 心が生み出すものならば どんなことでも書けるのです

オードリ ロードは言いました “白人の父から教えられたのは 我思う ゆえに我あり” 彼女が提言したのは “我感じる ゆえに我は自由” 素晴らしいパラダイムシフトだと思います でも 今日に至って 創作文の授業で 知っていることから書きなさいと 教えるのはなぜでしょうか その始め方に問題があるのではないでしょうか 文学とは必ずしも私たちの本質や 知識やアイデンティティに 関するものではありません 若者や我々自身に教えるべきことは 心を広げて 私たちが感じることを 書いていくことです 文化的ゲットーから抜け出し 他の世界を見るべきです

物語は スーフィーの旋回舞踏のように 接点がなかった輪と輪に つなぎ目をつくります アイデンティティ政治に関係なく 物語は人間性をつなげる― 肯定的側面があります スーフィーの詩で締めくくります “これを限りに 友になろう もう争いは やめにしよう お互いを愛し合おう 地球は皆のものだから”

ありがとう

(拍手)