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JUSTICE 第3回「課税に正義はあるか」「個人の権利をどこまで認めることが公平か」ハーバード大学:サンデル教授:白熱教室

Lecture05「課税に正義はあるか」

ベンサムの功利主義を弁護するミルだが、その主張には限界があるように思える。そこでもっと強力な原理理論を紹介したい。哲学者ロバート・ノージックたちが主張し、個人の権利を非常に重要だと考えるリバタリアニズム(自由原理主義)だ。彼らはシートベルト着用という自分を守ることを強制するような干渉主義的な法律に反対し、同性愛者間の性的な親密さを禁止するような道徳的な法律に反対し、金持ちから貧しい人に再分配する課税法に反対する。その例としてビルゲイツやマイケルジョーダンをあげる。ノージックは税金を課することは所得を取り上げることに等しいと言う。課税は盗みだ。極端に言えば課税は道徳的に強制労働に等しい。個人の労働に対する独占権を政治団体が部分的に所有していることになるから、奴隷のようなものだ。つまり自分が自分を所有していないことになる。このようなリバタリアニズムの考え方の根本的な原則に自己所有の考え方がある。そしてもし彼らを否定したいなら、この論理展開を論破しなくてはいけない。その疑問を残し講義は終了する。

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture05
FREE TO CHOSE
Lecture06
WHO OWNS ME? 


時間:55:08



Lecture05「課税に正義はあるか」

前回までの講義ではベンサムの功利主義への批判に対するジョンスチュワートミルの反論について考えた。ミルは「功利主義」という著書の中で、彼の説を批判する者に対し、功利主義の枠組みの中で、高級な喜びと下級な喜びを区別することは可能だ、とういことを示そうとしている。

私たちはその考えを、アニメ、シンプソンズとシェイクスピアでためしてみた。しかし、ミルの考えに疑問を感じざる負えないような結果が出た。君たちの多くはシンプソンズの方が好きだが、シェイクスピアの方が高級であり、価値のある喜びだと考えた。この結果はミルの主張とは異なる結果だ。ミルは功利主義の第5章で個人の権利と正義が特に重要であることを説明しようとしているが、これについてはどうだろう。

ミルは個人の権利は特に尊重されるべきものであると考えている。実際、正義とは道徳の最も神聖な部分であり、他とは比べようもない拘束の強い部分である、とまで言っている。しかし、ミルの主張のこの部分についても同じ疑問を呈すことができると思う。

なぜ正義は道徳の中でもっとも重要で、他とは比べ物もないほど拘束力が強いのか。

ミルはもし私たちが正義を行い、権利を尊重すれば長い目でみた時、社会は全体として良い方向へ向かうからだと言う。

本当だろうか。

もし例外を設けて、個人の権利を侵害したところ、人々の暮らしがよくなるようなケースがあったらどうだろう。
だとしたら、人を利用してもかまわないんだろうか。


正義と権利についてのミルの考え方にはさらなる反論が可能だ。
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ミルが言っているように長い目でみれば、功利主義の計算法が正しく機能するとしよう。個人の権利を尊重することで、全員の暮らしがよくなっていくと仮定しよう。
しかし、これが正しい理由だろうか。

それだけが人を尊重する理由なのだろうか。

もし医者が健康診断にきた健康な人から5人の患者を助けるために臓器を摘出したとすれば、長期的にみれば悪い影響が出てくる。いずれは人々にこのことがバレ、健康診断に行くのをやめてしまうからだ。
でも、それが正しい理由なのだろうか。

医者としてどこも悪いところがない健康な人から臓器を摘出しない唯一の理由は、そういうかたちで彼を利用すると長い目で見ればもっと多くの命が失われるからなのだろうか。
それとも、他の理由があるのか。

個人として本能的にその人を尊重しなければならないと思う。感じているからなのだ。その理由が重要なものであるならば、ミルの功利主義ではもはや説明できないのではないか。

ミルの主張に対する、この2つの懸念、反論を十分に検討するためにさらに深く考えてみよう。

高級な喜び、あるいはより価値のある喜びについて考える時、喜びの価値に対して、個人の道徳の基準を示すことのできる理論があるのか。あるとしたら、どのようなものか。
これが質問の1つだ。

正義と権利の問題については厳密には功利主義とは言えない、人間の尊厳や他人の尊重という概念にミルが知らず知らずのうちによりかかっているとするならば、ミルでさえ持っているこの直感について説明できるさらに協力な原理理論があるのではないだろうか。
つまり、他人を尊重する理由、人を利用しない理由は長い目でみれば、効用をしのぐ、というものである。

今日はそういった今日な原理理論の1つを考えていこう。

その原理理論では、個人はより大きな社会の目的のために、もしくは効用を最大化させるために使われる単なる道具ではないとされる。

個人は尊重される価値のある独立した人生を持つ、独立した存在である。
だから強力な原理理論は人々の好みや価値観を足し合わせることによって正義や法律について間違っていると、される。

今日、私たちがとりあげる協力の原理理論は、

リバタリアニズム=自由原理主義、ないし市場原理主義である。
リバタリアニズムでは、個人の権利を非常に重要に考え、その権利は自由の権利であると考える。私たちは独立した存在であるため、社会が期待する、あるいは考えだすいかなる用途にも利用されてはならない。私たちは独立した個人であるがゆえに、自由という基本的な権利を持っているのだ。だから私たちは自由に選択する権利、自分の望むように人生を生きる権利を持っている。他人が同じようにする権利を尊重することが条件だ。これが基本的な考え方だ。

リバタリアニズムを報じる哲学者の1人、ロバート・ノージックは著書の中で次のように言っている。
個人には権利がある。その権利はあまりにも強く広範囲にわたるため、
国家が行うことがあるのか。あるとすればそれは何か。という疑問を提起する。

リバタリアニズムでは、政府や国家の役割はどう考えているだろうか。ほとんどの近代国家が行っていることで、リバタニアリズムからすれば誤りであり、不当であることは3つある。

1つは干渉主義的な立法だ。
これは人々が自分を守ることを強制する法律だ。例えば、シートベルト着用、オートバイのヘルメット着用など。
リバタリアンはシートベルトをしめるのはいいことかもしれないが、閉めるかどうかは個人に委ねられるべきだと言うのだ。国家や政府には法律によってシートベルトを閉めるよう無理強いすることはできない。それは強制だ。だから、干渉主義的な立法の否定が一番だと言う。

2番目は道徳的な立法の否定だ。
法律の多くは市民の美徳を促進しようとしたり、全体としての社会の道徳的価値観を表現しようとたりしている。リバタリアンはそれも自由に対する権利の侵害だとする。
古典的な例をあげると道徳を推進するという名の元に、同性愛者の間の性的な親密さを禁止する法律がかつては存在した。リバタニアンに言わせれば、他に誰も危害をこうむっておらず、誰の権利も侵害していない。だから国家は美徳の促進、ないしは道徳的な法律という事業からは完全に撤退すべきだ、というのだ。

そして3番目、
リバタニアリズム的な哲学においては、所得や富を、裕福な者から貧しい者に再分配するという目的でつくらた課税法や政策はいかなるものでも認められない。リバタニアンに言わせれば、再分配はある種、強制である。
それは民主主義に限っていうならば、国家、ないしは多数派が成功していて大金を稼いでいる人から盗むのに等しい。ノージックをはじめとするリバタニアンたちは唯一認めている課税とは、社会の全員が必要とする国防、警察、契約や所有権を実行する司法制度を維持するためのもの。それも最小の政府によるもの。それだけだ。

リバタニアリズム的な見方の3番目について、みんなの意見を聞きたい。
賛成の人、反対の人、それからその理由を聞いていきたいが、まずは話を具体的にするために、そして現状の問題が何かを知るために、アメリカの富の分配をみていこう。

アメリカは民主主義が発達する国家の中で、富の分配も最も不平等な社会の1つだ。
さぁ、これは公正だろうか、公正ではないだろうか。リバタニアンは何といっているだろうか。リバタニアンたちは私が今上げた事実だけでは、分配が正しいか正しくないかは知ることができないと言う。
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傾向や分配や結果を見ただけでは、それが公正かそうでないかは判断できない、どのようにしてそうなったか知る必要がある。最終状態や結果だけをみるのではなく、2つの原則を考える必要がある。

彼は1つ目の原則を取得の正義または最小の保有と呼んだ。
この意味は収入を得るための手段を公正に取得したかということだ。つまり最初の保有に正義があったかどうかを知る必要がある。その人たちは土地や工場やものを盗んで、金を稼ぐことに成功したのだろうか。正当に取得したものであるならば、1つ目の原則は満たされたことになる。
2つ目の原則は、その分配が自由な意思決定によるかどうかだ。
人々は市場でものを買い取引をする。みんなも知っている通りリバタニアリズム的な正義の概念は自由市場の正義の概念と一致している。自分が使うものを盗んだのではなく、公正に取得している。個人の自由選択の売買の結果、分配が生じたとしたらその分配は正しい。そうでなければ公正ではない。

では、理論をわかりやすくするために、実際の例を1つあげよう。

アメリカで最も裕福な人、世界一の金持ちは誰か。ビルゲイツだ。その通り。彼だ。(会場笑い)大金持ちにもなれば笑顔にもなるさ。ビルゲイツの資産はどれぐらいか検討がつく人。

(400億ドル)すごい数字だ。クリントン政権の間、論議を呼んだ、政治資金提供者の問題を覚えているかな。選挙への大口献金者はホワイトハウスにリンカーンベットルームに一晩紹介された。2万5000ドル以上、寄付したらぁ、、だったと思う。だとしたら、ビルゲイツは今後6万6000年間、リンカーンベットルームに泊まり続けられることになる。と、計算した人もいた。(会場笑い)

ビルゲイツの時給はいくらか。計算した人もいた。ビルがマイクロソフト社を立ち上げてから、1日14時間働いたとして仮定して計算した。まぁ打倒な仮定だね。その結果、ビルの報酬のレートは150ドル以上になった。これは1時間あたりでも、1分あたりでもない。1秒あたり150ドルだった。つまり、ゲイツが会社に行く途中、道に100ドル札が落ちていることに気付いても立ち止まって拾う価値はない。(会場笑い)ということになる。

君たちのほとんどはこれだけ大金持ちなら、課税してもいい、そして、教育を受けられなかったり、食べるものや、住むところがなかった人たちのニーズを満たすべきだと言うんじゃないかな。彼らの方がずっと困っているだからね。でも、功利主義者だったらどうするか。どのような課税方針をとるだろうか。一瞬にして再分配するんじゃないだろうかな。それだけの金持ちなら、取られてもきっと気付かないくらいの金額であっても最下層の人々を生活や福祉を大きく改善することができるからだ。

しかし、リバタニアニズムにおいては

人々の好みや満足をそのようにただ集計することはできないとされている。人は他人を尊重しなければならない。他人の権利を侵害することなく、取得の正義、移転の正義という2つの原則に従って公正に稼いだ金であれば、その金を取り上げるのは間違っている。それは強制だからだ。

マイケルジョーダンはビルゲイツほど金持ちではないが、かなりの金持ちだ。
マイケルジョーダンをみてみるかい。これが彼だ。

ジョーダンはプレーによる収入が1年で3100万ドル。
ナイキなどの企業との契約の収入が4700万ドル。
つまり、年収7800万ドルということになる。
貧しい人たちに食べ物や住む家や、医療や教育を与えるために、
稼ぎの3分の1を政府に寄付しろとジョーダンに要求することは強制だ。
それは公正ではなく彼の権利を侵害している。
ゆえに再分配は間違っている。

今の議論に賛成の人は?
つまり、貧しい人たちを助けるためであっても、再分配は間違っていると思う人は?
今の理論に反対の人?まず反対の人の意見から聞こう。
再分配に反対するリバタリアンの主張のどこが間違っていると思う?君?

学生A:ジョーダンのような人は社会から一般の人よりは大きな贈り物をもらってるのですから、
再分配によってそれを返すより大きな義務を負っていると思います。
ジョーダンも1日十数時間、洗濯をしている人と同じくらい必死にやっているかもしれませんが、
収入ははるかに多いわけで、それを全てジョーダンが一生懸命やったからだというのは違うと思います。

結構、では、次にリバタニアニズムを擁護する側の意見を聞こう。
貧しい者を助けるために、金持ちに課税するのは間違いだと思う人は?

学生B:ジョーです。
僕のスケートボードのコレクションは100個くらいあります。
僕が100人の社会に住んでいるとして、突然、皆がボードを欲しいと思い、
僕のボードを99個持っていってしまったとします。
それは公正ではないと思います。
でも、ある種の状況では、そういう不正を見過ごす必要があると思います。
難破した船の少年が殺されたのも、しかたないみたいな。
生死がかかっている場合は、不正を見逃す必要があるでしょうが、
人の所有物や資産をとりあげることは、不正だということを覚えておくべきです。

じゃあ、飢えている人に食べ物を与えるためでも、
ジョーダンに33%の税率でやはり、間違いであり、盗みであると言うわけだね。

学生(ジョー):えぇ、不正だし盗みです。
でも、その盗みを見逃す必要もあるかもしれない。

でも、盗みは盗み。

学生(ジョー):はい。

なぜ、それが盗みになるのかな?
君のボードを取り上げるのと同じになる理由は?

僕の意見では、そしてリバタリアンでは、
正当に稼いだのですから彼のものです。
それを取り上げれば定義によって盗みになります。

今のジョーの意見に反論のある人は?君!
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学生C:あなたは100個もスケートボード持っているんだから、
政府が99個とりあげたとしても、何の問題もないと思います。
そんなにたくさんボードを持っていたって
どうせ、使いきれないんだから、
政府がその1部をとりあげて分け与えても、ちっとも悪くないじゃないですか。
政府が再分配しない社会に住んでいたら
金持ちはどんどん裕福になっていってしまい、
貧しい人はいつまでも貧しいままです。
架空の社会ではなく、現実の社会ではスタート地点ですでに差がついてしまっているわけですから、
一生人より低い賃金で働くことになってしまいます。

ある程度の富の再分配がなければ、底辺に取り残された人々には
機会の平等が与えられなくなる、ということだね。結構。

課税は盗みだという考え、ノージックはその考えをもう1歩進め、
課税は盗みだ。彼はジョーよりもっと厳しい。
盗みは盗みだが、極端な状況では許される。という意見だったね。
腹をすかせた家族を助けるために、パンを盗んだ親は許される。

ジョー、君には自分を何と呼ぶ?
思いやりのある純リバタニアン?(会場笑い)

ノージックは税金を課することは所得を取り上げることに等しいと言う。
言い換えれば、それは労働の果実を取り上げることを意味する。
国家が個人の所得や労働の果実を取り上げる権利を持っているとすると、
それは道徳的に国家が個人の労働の一部を要求する権利を持っている。
と言うに等しい。
ならば、課税は道徳的に強制労働に等しい。
なぜなら強制労働は必然的に個人の余暇や時間、努力を取り上げることになるからだ。
それは課税は個人が働いて稼いだ金を取り上げるのと同じである。
ノージックたち、リバタリアンにとっては再分配にとっての課税は盗みである。
盗みだけではなく、人間の人生と労働のある程度の時間を要求するのに、道徳的に等しい。
だから、課税は道徳的に強制労働に等しい。となる。
国家に個人の労働の果実を要求する権利があるなら、個人の労働そのものに対する権利があることを暗示している。では強制労働とは何か。ロージックが指摘する強制労働とは何だろうか。
それは奴隷制だ。
個人に自分自身の労働に対する独占権がないのだとしたら、
政府、もしくは政治団体が個人の部分的所有者ということになる。
国家が個人の部分的所有者になるとはどういうことか?
それは私が奴隷だ、とういことだ。
自分が自分を所有していないことになる。
この一連の論理展開から明らかになるのは権利に対する
リバタリアンの考え方の根本的な原則だ。
その原則とは何か。
自分を所有するのは自分だという考え方、自己所有の考え方だ。

権利を重要なものだと考えるなら、人間を単に好みの集合体と見なしたくないのなら、
そこから導かれる根本的、道徳的概念は私たちが自分自身の所有者、
持ち主だという考え方だ。それこそが功利主義が破綻した理由だ

人間は他人に属しているのでも、コミュニティに属しているのでもない。自分自身に属しているのだ。
同じ理由で、自分で自分を守ることを強制することをつくったり、
いかに生きるべきか、どのような美徳に従って生きるべきか指図したりする法律をつくることも間違っているし、貧しい人助けるとう大義であっても、裕福な人に課税するのも間違っている。

施しを頼むのはいい。しかし、課税するのは強制労働を課すのと同じことなのだ。
毎週の試合をサボって、ハリケーンカトリーナで住処を失った人々を助けに行って欲しいと頼めるかな。

道徳的にはそれと同じことだ。それでは課していることが大きすぎる。
リタバリアニズムに対する反論もあったね。だが、リタバリアニズムを否定するなら
個人の所得を取り上げるのは、個人の労働をとりあげることと同じであり、
個人の労働をとりあげることを個人を奴隷にするのと同じことだ、という論理展開を論破しなくてはいけない。
リタバリアニズムに反対の立場の人は反論を用意しておくように。
次回はそこからはじめよう。


Lecture06「個人の権利をどこまで認めることが公平か」

学生のリバタリアニズムチームへの4つの反論。第1の反論は『貧しい者はより金を必要としているではないか』→たしかにその通りだが、その議論を考える上でも、前提となる自己所有の原則に矛盾してはいけない。人間には所有権があるのだ、貧しい者を助けるためであっても前提である権利を侵害してはならない。第2の反論は『民主的な議会という同意による課税なのだから強制ではない、奴隷制度ではない』→民主主義には賛成だが、個人の権利は重視すべきだ。自分の権利を通すためにアメリカ人2億8000人を説得しなければならないといった大変なことをやりとげる必要はないはずだ。第3の反論は『ビルゲイツのように成功した者は、成功について社会に借りがあるから税金を払うことでその借りを返すべきだ』第4の反論は『自己所有という前提がそもそもおかしい。社会の中で生きるなら完全に自己を所有はできないはずだ』リバタリアンは集団の幸福のために人を手段として利用するという功利主義的な考え方を認めない。個人を利用するという考え方を止めるには、自分が自分の所有者であるという本能的な考え方が有効だと主張する。リバタニアニズムの哲学者ノージックは自己所有という考え方はイギリスの政治哲学者ジョン・ロックから借りてきた。次回はロックの私有財産と自己所有の考えを検討する必要があるとして講義は終了する。


Lecture06「個人の権利をどこまで認めることが公平か」

これまでリバタニアニズム、自由原理主義、ないし市場原理主義について話をした。ここからもまた、所得の再分配に対して賛成か反対に対して議論したい。だが、その前に小さな政府について一言いっておきたい。リバタニアニズムの経済学者ミルトン・フリードマンは私たちが当たり前にように政府に帰属していると思っている機能の多くは実はそうではないと指摘している。

それらの機能は干渉主義的なものだ。フリードマンは社会保障制度、その1つの例にあげている。
フリードマン曰く、稼げる時に退職後に備えて貯金をすることはいい考えだ、しかし、人々が貯金をしたいかどうかを無視して、収入のうちいくらかを退職後に備えて強制するのは、人間の自由の侵害であり間違っている。もし賭けにでたかったり、今日という日をでっかく生きられれば、退職後はじり貧でもいい、という人がいたら、それはその人の選択である。リスクを負うかどうかはその人が自由に選んでいいのだ、だから、社会保障制度でさえ、ミルトン・フリードマンが主張する小さな政府とは相いれないのである。警察や消防などの集合財は公的に提供されない限りはフリーライダー問題を生み出す。

フリーライダーとは活動に必要なコストを負担せず、利益だけを享受する人のことだ。

しかし、フリーライダーを防ぐこともできる。集合財(公的サービス)としか思えない、情報のようなサービスでさえ、制限する方法があるのだ。

少し前に会員制の消防会社についての記事を読んだ。アーカンソンのセーラム消防会社だ。この消防会社に登録し、年会費を払うと自宅が火事になった場合、火を消しに来てくれる。しかしこの会社は誰の火事でも消してくれるわけではない。会員の家が火事になったら消化してくれる。火事が燃え広がり、会員の家に迫ってきた時も消化してくれる。

新聞の記事は以前この会社に登録していたが、契約を更新していなかった家主の話だった。彼の家が火事になった。消防会社の面々はトラックで到着し、家が燃えるのをただ見ていた。火が燃え広がらないかどうか見ていたのだ。
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消防主任は尋ねられた。いや、正確には主任ではなくCEOだったと思う。消化器を持っているのに、なぜ家が燃えるのを消化しないのか、と尋ねれた。会員の不動産に危険がないことが確認できたら、我々は規則により撤収するしかない、と答えた。全ての火事に対応していたら会員になるメリットはなくなってしまう。

このケースでは家主は火事の現場で契約を更新しようとしたが、会社の代表は拒否した。備えを怠っておきながら、後から保険に入ることはできない。私たちが当然のように政府の提供する公的サービスで思っていることですら、その多くは制限を加えることが可能であり、金を出した人たちだけの独占的なサービスにすることができる。集合財についての疑問とか干渉主義に対するリバタリアンたちの禁止令に関わることだ。

そろそろ再分配についての議論に戻ろう。小さな政府についてのリバタリアニズム的主張の根底にある強制への懸念だ。しかし、強制がなぜいけないのだろうか、リバタリアンの答えはこうだ。

誰かを強制すること、一般的な福祉のために誰かを利用することは間違っている。なぜならば、自分を所有するのは自分であるという根本的事実、自己所有という根本的な道徳的事実を問題とすることになるからだ。

リバタリアンが再分配に反対する論拠は、自分を所有するのは自分だ、という根本的な考えだった。ノージック曰く、もし全体としての社会がビルゲイツやマイケルジョーダンから彼らの富の一部を税金としてとりたてることができるとしたら、社会が行使しているのはビルゲイツやマイケルジョーダンへの共有財産権なのだ。しかし、それは自分を所有するのは自分、という根本的な原則に反している。

さて、リバタニアニズムに対する反論がたくさんでてきた。今日はここにいる皆のリバタリアンたちに反論に答える機会を与えたい。何人かがブログに参加して名乗りをあげてくれていて、リバタニアニズムに対する反対に答え、リバタニアニズムを論証してくれることになっている。リバタニアニズムの考えを擁護し、反論に答える準備をしてきた人は?手をあげて!
君がブログのスター(学生Aアレックス)か、こっちに来てくれ、ここをリバタリアンが集うコーナーにするからね。他にリバタリアンはいないか?

君の名前は?
学生B:ジョン・セフィールド。
ジョン・セフィールド、、他には?戦う準備をしてきた勇敢なリバタリアンはいないか?君は?
学生C:ジュリア・ロトー
ジュリアロトーこっちにきて。リバタニアニズムのチーム結成だ。ジュリア、ジョン、アレックスだ。チームができたところで、講義とウェブサイトにでてきた主な反論を要約しよう。

第1の反論はこれだ。私もそっちに行こう、リバタニアニズムチームと話したい。
第1の反論は『貧しい者はより金を必要としている』というものだ。
これはわかりやすい。その必要の度合いはビルゲイツやマイケルジョーダンより、はるかに高い。

第2の反論は税金を課すのは奴隷制度ではない、少なくとも民主的な社会は税金を課すのは奴隷所有者ではなく、議会だからというものだ。議会は民主的なものであるから、、、、笑っているね、アレックス。反論に答える自信があるからか?統治されている者の同意による課税は強制ではない。

第3の反論はゲイツのように成功した者は、成功について社会に借りがあるから、税金を払うことでその借りを払うというものだ。税金を払うことで、その借りを返すべきだということだ。

1番目の、貧しい者の方がより金を必要としている、に反論してくれる人は?
学生B(ジョン):僕が、、ジョンです。
よし、ジョン答えを聞こう、マイク持つよ。

学生B(ジョン):貧しい者の方がより金を必要としている、というのはよくわかります。僕だってビルゲイツが100万ドル、くれたら、いや1000ドルでもくれたら助かります。でも、富を再分配にメリットがあるからと言って、所有権の侵害を正当化ことにはならないということを理解すべきです。貧しい人の方がより金を必要としている、という議論を考える時でも、人間は自分自身を所有しているという原則と矛盾してはなりません。人間には所有権があります。それがたとえ、いいことであれ、悪いことであれ、一部の人の生存にとって必要なことであれ、それが権利の侵害を正当化するわけではありません。しかし、個人的な慈善事業という道があります。ミルトン・フリードマンがこれを論じています。

ビルゲイツが望めば慈善に金を出すのはいい。
学生B(ジョン):はい。
しかし、強制するのは間違っている。
学生B(ジョン):そうです。
貧しい人がそれを必要としていても?
学生B(ジョン):そうです。

残る2人も賛成かな?ジュリア!
学生C(ジュリア):何かを必要としていることと、何かに値するということとは違うと思います。理想の社会だったら全員の必要は満たされているでしょうけど、ここでは私たちが何に値するかのどうかの議論なので、、。
では、貧しい人はマイケルジョーダンから取った税金で助けるに値しないというわけかな?
学生C(ジュリア):今までの議論の流れでいけば、値しないと思います。
ジュリア、もう少しそこのところについて聞かせて欲しい。ハリケーンカトリーナの被害者は深刻な状況であり、助けを必要としている。それでも彼らは税金を財入とした連邦政府の支援には値しないのかな?

学生C(ジュリア):難しい質問ですね、これは助けを必要しているけれでも、助けには値しないというケースだと思います。でも、命を維持できないレベルに達したら助けは必要です。食べ物や住むところがないとか、、、。
助けが必要なのと、助けに値するとは別物なのかな?
学生C(ジュリア):はい。

誰か反論がある人は?君!
学生D:最初の論点、個人の所有権についてですが、所有権は政府によって制定され施行されています。政府は民主的な政府で、そこには権利を施行する、私たちの代表がいます。こういうルールの下で機能している社会の中に住んでいるのですから課税を通じて資源がどのように再分配されるのかは政府に任せるべきです。それが嫌ならそういう風に機能している社会に住む必要はありません。
結構、君の名前は?
学生D:ラウル
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ラウルの今の指摘は、まさに第2の反論だね。もし統治される者と同意による課税が強制ではないとしたら、それは正当だということだ。ビルゲイツもマイケルジョーダンもアメリカ市民であり、議会に投票できるし、他の皆と同じように政策に対する自分に信念を投票によって表明できる。これに対する反論は?ジョン!

学生B(ジョン):基本的にリバタリアンがこのケースに反論しているのは、下位10%のために、上位10%がすることを中間の80%が決めていることです。
おいおいおいおい、ジョン、過半数だぞ、君は民主主義を信じていないのか?
学生B(ジョン):それはそうですが。
民主主義においては過半数が支配するとうのがルールだろう。民主主義は過半数が勝つ。民主主義に反対なのか?
学生B(ジョン):いえ、民主主義には賛成です。ちょっと待って、民主主義と衆愚政治とでは同じものではありません。
衆愚政治!!

学生D(ラウル):でも、開かれた社会では、君は君の意見を代表を通して主張することができる。もし、統治される者の過半数の同意が君と一致しなくても、君はこの社会に生きることを選んでいるわけだから、過半数が選んだことを受け入れてやっていかなければならないことだ。

結構、アレックス、民主主義についてはどう思う?
学生A(アレックス):議会の議員1人に対し、僕の票は50万票の中のたった1票に過ぎないわけだから、それは自分の所有権をどう行使するか、自分で決められるのとは違います。バケツの中の一滴ですから。
主張は通らない?
学生A(アレックス):そうです。

否決されたら?
学生A(アレックス):税金を払うか、払わないかを決める権利は僕にはないし、払わないことで刑務所に入れられるか、この国から出て行けと言われます。
しかし、アレックス、民主主義について論じ、ささやかな擁護をさせて欲しい。君は何て言うかな?私たちは言論の自由のある民主的な社会に住んでいる。選挙演説をして、課税するのは間違っていると市民を説得し、過半数をとればいいじゃないか。

学生A(アレックス):自分の権利を行使するために、2億8000万人を説得しなければならないとは思いません。そんな大変なことをしなくても、行使できるべきだと思います。
じゃあ、君は民主主義に反対なのか?
学生A(アレックス):いや、僕は限定された民主主義を支持しています。民主的に決定される事項の範囲を厳しく限定する憲法を持つ民主主義を!

そうか、では、基本的な権利が絡まなければ民主主義は良い、というわけだ。
学生A(アレックス):はい。

君が演説をしたら、勝てると思うよ。君の主張にもう1つの要素を付け加えさせて欲しい。経済の議論、課税についての議論はちょっと横において置こう。宗教の自由についての個人の権利が焦点になっているとしよう。君は演説で個人の自由の権利を投票にかけるべきではない、とみんなに訴えかけるだろうね。
学生A(アレックス):その通りです。だからこそ、憲法には旧制条項があり、憲法が大変なものになっている理由です。

つまり、私有財産に対する権利、マイケルジョーダンが自分で稼いだ金は全て自分のものにできる。少なくとも再分配から保護できる権利がある。言論の自由の権利、宗教の自由の権利と同じように、社会の多数派の意向を負かしてでも、守られるべき重要な権利だと言うことだね。
学生A(アレックス):その通りです。言論の自由の権利があるのは、僕たちが自分を所有する権利があり、意見を行使する権利を持っているからです。

ありがとう。今の民主主義のあり方についての議論に意見がある人は?そこの君!

学生E:宗教と経済とでは、同じものではないと思います。ビルゲイツがお金を稼ぐことができたのは、社会が経済的にも社会的にも安定しているからです。政府が最も貧しい層10%を助けなかったら、犯罪を防ぐために警察にもっと税金が必要になるでしょう。必要なものを政府が提供するためにより多くの税金がとられることになってしまうと思います。

君の名前は?
学生E:アナ

1つ質問だ。なぜ宗教の自由に対する基本的な権利は、アレックスが主張する私有財産の権利とは異なるのかな?その違いは何だと思う?

学生E(アナ):なぜなら、社会が安定していなかったら、お金を稼げないし、財産を所有することもできないからです。宗教はもっと個人的なもので家で自分だけで実践します。私が信じる宗教上のことを実践しても隣の人に影響はありません。でも、私が貧しかったら、自暴自棄になって家族を養うために、罪を犯すかもしれず、それは他人に影響を与えますから。

よくわかった、ありがとう。腹をすかした家族を養うために、パンを盗むのは間違っているかな?
学生A(アレックス):間違っています。
よし、では3人で裁決をしよう。君は間違っていると思うんだね。
学生A(アレックス):はい。

君は?
学生B(ジョン);所有権の侵害であり、間違っています。
家族を養うためでもか。
学生B(ジョン);でも、他に方法はあるはずです。盗みを正当化する前に僕を笑うのは待って下さい。(会場笑い)盗みを正当化する前に、僕たちが現に存在するという権利が侵害されたということを考えないと。自己所有権、財産権について、僕たちは存在する権利だと認めたわけですから。
それは盗みだ、となれば所有権は論点ではない。ではなぜ、家族を養うためでも盗んではいけないのか。
学生B(ジョン);先生が最初の講義でおっしゃった通り、良い結果がもたらされるからと言って、その行為が正当化されるとは限らないからです。

ジュリア、君の意見は?家族を養うためにパンを盗むこと。子供が死なないように必要な薬を盗むことは許されるか?
学生C(ジュリア):私はかまわないと思います。リバタリアニズム的な論点からでさえ、たくさん持っている人から適宜お金をとって貧しい人にお金を与えてもかまわないと思います。でも、パンを盗むことは自分を救うために自分で行動しているわけです。自己所有の考え方から言えば、人は自分で自分を守る権利があるあるはずです。だから、リバタリアニズム的な論点から言っても許されるんじゃないかと思います。
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いい議論だ、さて3番目、成功した裕福な者は社会に借りがある、というものだね。全て自力で成功したわけではない。他の者と共に成功したのだから、彼らは社会に借りがある。それは課税という形で表される。ジュリアこれについてはどうかな?

学生C(ジュリア):これについては、私は割り勘な社会はないと思います。そういう人たちが裕福になったのは、社会が高く評価したからです。彼らは社会に対してサービスを提供したから、社会がそれに報いたわけであり、その結果、裕福になったわけですから。

わかりやすくするために、マイケルジョーダンを例にあげてみよう。ジョーダンがリッチになれたのはチームメイトやコーチ、プレイをした人たちに助けられたおかげだとしても、彼らはすでにそのサービスの対価はもらっているというわけだ。

学生C(ジュリア):ジョーダンのプレイをみることで、社会は多くの楽しみを得ており、ジョーダンはすでに社会に借りを返していると思います。
いい意見だ、この点について意見がある人は?君!

学生F:人が社会の中で生きている時、人は自分で自分を所有しているという、前提そのものに問題があると思います。社会の中で暮らすには自己所有権を放棄しないと。たとえば、私は嫌いな人を殺したいと思ったと思います。それは私の自己所有権ですが、社会の一員である以上そうはできません。もし私にお金があったら、人を救えるというのと同じことです。自己所有券には限度があります。なぜなら、社会に暮らしている以上、他の人のことを考えなければいけないからです。

君の名前は?
学生F:ビクトリア。
君は自己所有の基本的な前提に疑問を感じているわけだ。
学生F(ビクトリア):はい、社会の中で生きることを選んだら、完全に自分を所有をできません。周りの人を無視することができないからです。

よろしい、最後のポイントについて、リバタリアンに聞いてみよう。
私たちは自分自信を所有しないのではないか、ということに論拠している。ビルゲイツやマイケルジョーダンが裕福なのは、彼ら自身の努力のみによるものではない。多くのコールの産物であり、ゆえに稼いだ金は全て道徳的に彼らのものにはできない、反論は?アレックス!

学生A(アレックス):良識があれば、あれだけの富を独り占めできるはずはないと思う人もいるだろうけど、これは道徳性の問題ではありません。ポイントは彼らが今持っているものを手にいれたのは、人々に何らかなサービスを自由交換したからです。
よろしい、じゃあ、今日の議論のことで学んだことをまとめてみよう。その前に、ジョン、アレックス、ジュリアのがんばりに感謝しよう。(会場拍手)

さっき、今日の議論の最後にビクトリアがリバタリアニズムの論理の前提に疑問を投げかけた。私たちは本当は自分で自分を所有していないのではないか?というのだ。再分配に反対するリバタリアニズムに主張しない場合、リバタリアニズムの論理展開に切り込む箇所は論理のもっとも早い段階にありそうだ。それが多くの人が課税とは道徳的に強制動労に等しい、ということに対して意義を唱える理由だ。

しかし、リバタニアニズム的根底にある考えは、中核をなす思想についてはどうだろう。自分が自分を所有するというのは真実なのか。その考え方、なしでやっていけるのか、リバタニアンたちが避けたいことを避けられるのか、避けたいことというのは、正義という名のもとに一部の人が他の人々につくし、あるいは一般的な善のために利用されてしまうような社会をつくりあげてしまうことである。

リバタニアンは人を集団を幸福のために手段として利用する、という功利主義的な考え方を認めない。個人を利用するという考え方を止めるには、自分が自分の所有者であるという本能的な考え方が有効だと主張する。それがアレックス、ジョン、ジュリア、そしてロバート・ノージックだ。

自己所有の考え方を疑問視すると、正義論と権利の重要性にはどのような結果がもたらさせるだろうか、私たちは再び功利主義に戻し、個人を全体のために見好し、太った男を橋から突き落とすことになってしまう。

自己所有という考え方はノージックが自力で発展させたものではない。ノージックはそれを哲学者の ジョンロックから借りてきたのだ。

ジョン・ロックはノージックとリバタリアンたちがよく使う論拠と、非常によく似た理論展開によって、自然状態からの私有財産の対当を説明した。

ジョン・ロック曰く、私たちに労働とまだ所有されていないものがあって、はじめて私有財産が発生するのである。その理由は私たちは自分の労働を所有しているからだ。なぜ自分の労働を所有しているかと言うと、私たちは自分自身を所有しているからだ。だから、自分自身を所有しているというリバタリアニズム的主張の道徳的な力を検証するには、イギリスの政治哲学者ジョン・ロックの私有財産と自己所有の考えを検討する必要がある。それを次回にしよう。